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1年半前の「大発見」

  • 小林孝男
  • 2017年1月25日
  • 読了時間: 2分

 奥州街道は江戸時代の五街道のひとつでした。最初は日本橋から白河宿(福島)までを指していましたが、やがて三厩宿(青森)までを指すようになりました。ですから今の国道4号線とおおよそは一致するわけです。さて、奥州街道は江戸時代に仙台城下のどこを通っていたのでしょう。グーグルマップでは、上杉山中学校前の大きな通り(愛宕上杉通)に「奥州街道」と表示が出てきます。大雑把に言えばそれでいいのですが、近年の道路ですので、いま一つぴんときません。そんな折、『仙台城下の町名由来と町割り』(吉田義弘著)と『仙台地図さんぽ』(100年前の大正元年の仙台地図と現代の地図を対照した、とても興味深い本!2,500円+税)を読み、モヤモヤがいっぺんに吹き飛びました。

 仙台城下の町割りの起点とされた場所は芭蕉の辻です。そこは仙台城から真東に直進する幹線大町通りと奥州街道が直角に交差する地点でした。芭蕉の辻から奥州街道を南に向うコースは、南町・柳町・北目町・田町・荒町・南鍛冶町・穀町・南材木町・河原町・長町と続きます。逆に北に進むコースは、国分町・二日町・北鍛冶町・通町・堤町となるのです!つまり、長いこと北四番丁に住んでいた私にとって、奥州街道は正に「ご近所」そのものであり、「縄張り」の一部だったわけです。そのことをこの年になって初めて知り、というより「大発見」し、大いに感激いたしました。ちょうど1年半前のことです。思えば、『仙台地図さんぽ』を片手に奥州街道(長町~堤町)を、滝のように汗をかきながら歩いたのが、私の町歩きの原点です。


 
 
 

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