焼け跡に建つ
- 小林孝男
- 2022年8月31日
- 読了時間: 2分

勾当台通・北四番丁角にある日本バプテスト仙台基督教会に私は所属しています。1952年から仙台で開拓伝道を行っていたアメリカ人宣教師が、苦労して探し出した土地に、立派な新会堂を建築したのは1954年のことです。実はその場所は焼失した映画館の跡地でした。名前をご存じの方はあまり多くはないと思いますが、「松竹映画劇場」です。収容人数1000人程の比較的大きなこの映画劇場は、敗戦後半年も経っていない1946年1月25日に開館しています。1月23日付の河北新報の囲み広告には、「愈々25日開館 豪華絢爛披露番組」として、「豪華実演 松竹少女歌舞団一行 三日間公演」、「歌と踊りのスペクタクルレヴュ映画 グランドショウ1946年」とあり、三日間は実演と映画の二本立てで、なかなか華々しく開館した様子がうかがえます。
北松竹の運営会社は東北興業株式会社。この会社は東北の開発促進を目的に制定された「東北興業株式会社法」(1936年)という法律に則って設立された会社です。当時の社長は伊澤平勝(東北の財界人と繋がりのある人物)、専務は松尾敬三(東北最大の的屋グループと繋がりのある人物)で、北松竹を開館した3ヵ月後には、南町に南松竹映画劇場も開設しています。ところが1948年の2月に南松竹が、8月には北松竹が火禍に見舞われ、北松竹は焼失後再建されることなく短命に幕を下ろしてしまいました。もし、北松竹が再建されていれば、現在の教会もここには建っていなかったことになります。
仙台空襲で町の中心部が焼け野原になり、敗戦で多くの人たちが意気消沈する中、庶民に娯楽を提供するため戦後半年足らずで新しい映画館を建設し、華々しく開館させるこのしたたかさ、生命力、行動力はすごいなあと感心してしまいます。東北興業は庶民が何を望み、何を求め、何を待っているかなどの心の機微や、時代の趨勢を敏感に感じ取る才に長けていたのです。勿論絶対条件はそろばん勘定なのでしょうが。
さて、北松竹映画劇場の火災は不審火とのことです。この業界特有の利害絡みの何らかの抗争が背後にあったことも考えられます。人々に喜びや安らぎや希望や光を与えてきた北松竹も、その背後には妬みや争いが複雑に絡んだ闇を抱えていたということなのでしょうか。その同じ場所にキリスト教会が建っているのは、何か暗示的です。教会は光と闇が交錯する「この世」のど真ん中に建てられます。人々の様々な思いやこの世の現実としっかり向き合う中で、教会はその使命を担いながら歩まなければなりません。そのことを教会が建つこの場所はいつも思い起こさせてくれるのです。



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