昔の光いまいずこ
- 小林孝男
- 2017年5月19日
- 読了時間: 2分

江戸時代、荒町の満福寺毘沙門天前は大いに賑わいを見せていました。相撲の興行場所となっていたことでもそれが分かりますし、奇縁二天石が置かれていたことでも想像がつきます。大人の背丈ほどのこの石柱は、求人広告塔のような役割を果たしていたもので、奥州街道に面した毘沙門天の鳥居の脇に立てられていました。一方の面には「たつぬる方」と彫られていて、そこに求人の張り紙をします。反対の面には「なしゆる方」と彫られており、求人に応じたい人はその旨を貼り付けるというシステムです。荒町の毘沙門天前は多くの人通りがあり、大勢人が集まるポイントだったからこそ、こういったシステムも成り立ったわけです。
また、大正元年(1912)発行の『仙台市全圖』には、「自働電話」(今の公衆電話)が設置されている場所が記されていますが、まだ、走りの時期だったのでしょう、数えてみると市内でたった四カ所しかありません。そしてその内の一カ所が、ここ毘沙門天前です。大正に入っても荒町の毘沙門天前は、大いに栄え続けていたわけです。ちなみに、「自働電話」が設置されていた他の三箇所は、当然人が大勢集まる仙台駅前、繁華街として賑わっていた大町、そして遊郭のあった小田原でした。
現在、毘沙門天近辺は静かな街となっています。もちろんバスや車の往来はそれなりにあるのですが、人による賑わいは鳴りを潜めてしまいました。私が境内を散策した20分ほどの間にお見かけしたのは、ほんの数名の方です。栄枯盛衰は世の常ですが、街中にも「荒城の月」(むかしのひかり いまいずこ)は当てはまるのです。



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