記録に残らない人生の尊い歴史
- 小林孝男
- 2017年9月8日
- 読了時間: 2分

仙台浸礼教会(現在の日本基督教団仙台ホサナ教会)の初期の信者、「蜂屋可秀」という人物について、必要があり調べています。150年以上前の方です。資料となりそうな書物を、今のところ2冊見つけましたが、生い立ちやその生涯など、詳しいことは何も書かれていません。また、宮城県図書館で見つけた唯一の資料は、『仙台人名大辞典』。と言っても本人が出ているわけではなく、父親のことが短く書かれているだけで、最後に一行半程度、息子の可秀について触れられているに過ぎません。「蜂屋可久 代言人。仙臺に於ける初期の代言人なり、明治二十二年十二月一日歿す、享年五十二、仙臺北山町基督教共同墓地に葬る、子可秀、英學の大家にして齋藤秀三郎と並び稱せらる。」
今日、北山キリスト教墓地へ行って蜂屋可久の墓を確認してきました。尚絅学院のブゼル先生のお墓の真後ろ奥にありました。墓碑には「明治二十二年二月一日 永眠」と刻まれていましたので、『仙台人名大辞典』は、没月を間違えています。娘と思われる方の墓石がそばに寄り添っていましたが、息子の可秀の墓石はありませんでした。これは可秀が生活の基盤を関西に移したことに関係があるのでしょう(明治33年11月19日の『官報』-5216号-によれば、可秀は大阪府第一中学校の教諭をしていた)。
一人の人間の歴史を、正しく次代に継承していくことは、かなり難しいことであることを痛感しています。しかし同時に、記録には残らなくとも、一人一人の人間がこの世に生を受け、喜怒哀楽を経験しながら、その人にしか生きられない尊い人生を生き抜いた歴史は、間違いなく存在したのだ、という思いを強くしているところです。
なお、寛文事件(伊達騒動)に、蜂屋可広という人物が登場します。仙台浸礼教会の蜂屋可秀は、その蜂屋家の血筋ではないかと想像していますが、それを証明することは今となっては不可能なのでしょう。



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