ビジョンなき民は滅びる
- 小林孝男
- 2018年4月26日
- 読了時間: 2分

今日は八木山のベニーランドで、孫孝行をしてきました。何十年ぶりかで観覧車にも乗り、若葉に萌える山々と仙台市内の高層ビル群の眺望を楽しみました。2歳の孫は初めての経験に緊張気味、楽しむ余裕もなく固まっていました。
さて、八木山と呼ばれるこの山は、昔、越路山と呼ばれていました。仙台城防衛の重要地点として、藩有林のこの地は立入禁止地区でした。 明治維新後、藩はこの藩有林を旧藩士に共有財産として払い下げましたが、すぐ新政府に取り上げられ、国有林にされてしまいます。そして、伐採権を獲得した東京の業者が伐採をはじめ、山はどんどん荒廃していきます。また、所有権をめぐって訴訟も数多く起こされ、「訴訟の山」などと揶揄される始末です。
この様な越路山の状態に心を痛めていたのが、江戸時代から小間物商「紅久」を営み、明治になり会社組織にまで発展させた実業家4代目八木久兵衛でした(七十七銀行頭取なども務める)。この山を愛していた八木は、山を訴訟も含め丸ごと買い取り、体力増強のためのピクニック道路や運動場や遊園地を造り、当時国民病として恐れられていた結核の予防に役立てようという広大な構想を描きました。4代目の遺志を継いだ 5代目八木久兵衛(4代目の甥) は、越路山一帯の買取を完了させ、私財をなげうってこの地区の開発に着手したのです。そこからかつての越路山は、「八木山」と呼ばれるようになりました。今日、孫と一緒に行ったベニーランドの命名の由来も、紅久の「紅(べに)」からきています。
一世代では成し遂げられないことでも、二世代目がそれを引き継ぎ、あるいはさらに三世代目がそれを引き受け完成に至らせる。そのような息の長いプロジェクトに不可欠なこと、それは時間を越え、世代を越えて共有・共感できる崇高なビジョンです。逆の言い方をすれば、崇高なビジョンを失う時、人も組織も前途は閉ざされてしまうのです。そう言えば、どこかで「ビジョンなき民は滅びる」という言葉を聞いたことがあります。その通りなのでしょう。



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