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見えるもの・見えないもの

  • 小林孝男
  • 2018年5月10日
  • 読了時間: 2分

 仙台市泉区根白石字下町の消防ポンプ置き場の裏に、石碑群があり59基の大小の石碑が並んでいます。まずその数の多さに、圧倒されてしまいます。道路整備工事が行われた地域に散在していた石碑を、元々大きな石碑がいくつか置かれていたこの場所に集めたのです。工事に関係ない地域に今も点在しているものを含めれば、恐らくこの石碑群の何倍もの数の石碑が、根白石地区には存在しているのでしょう。今も昔も、人間は目に見えるものがないと、安心できないのです。心が落ち着かないのです。心の中だけで念じても、確信が持てないのです。健康のことであれ、生活の安泰や旅の安全のことであれ、また死者の供養のことであれ、これほど熱心に、真剣に、一途に願っているのだ、認めて欲しい、分かってくれ、聞き届けて欲しい、という強い強い思いを、人々は石碑という目に見えるもので表してきました。形に表すことによって、自分自身の心も落ち着くのでしょう。私はその感覚が分かるような気がします。

 私も愛犬三太への思いを、遺影を飾ることによって、そして毎朝欠かさずその遺影に水を捧げることによって表現しています。心の中で思うだけでは、どうも落ち着かないのです。いつか忘れてしまうのではと不安になります。私が忘れてしまったら、三太が私や家族にどれほど喜びや、安らぎや、幸せをもたらしてくれたかも、全てが消え去ってしまいます。無かったことになるのも同然です。

 具体的に見えるものがなくとも、その見えるものに託す思いを、心の中に保ち続けることができれば、それに越したことはないのでしょう。いつかそのような境地に達することができればと思うのですが、果たして・・・。


 
 
 

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