十把一絡げの命
- 小林孝男
- 2018年10月5日
- 読了時間: 3分

心地よい秋の日差しに誘われて、気が付けば水の森公園に向かって車を走らせていました。公園入口付近にある叢塚(くさむらづか)を訪れるためです。話しには聞いていたのですが、まだ一度も訪れたことはありませんでした。仙台水の森市民センターの駐車場に車を止め、そこから歩くこと5分。目指す叢塚を発見。明治15年(1882)の夏、まだ人口が6万人程度の仙台でコレラが大流行しました。患者数950名、死者409名。最初は市内で火葬されたそうですが、人里を遠く離れたここ水の森でも、276名の死体が焼かれたそうです。野犬を撲殺して歩く荒くれ男、人呼んで「犬殺しの三平」が、死体一体の焼賃を16文で請け負い、昼夜分かたず、どぶろくを飲みながら焼いていたと伝えられています。拾い残された骨と灰は一カ所に集められ塚が出来上がり、その塚の上に建てられた供養碑が叢塚とのことです。
水の森公園内には秀衡街道の一部が残されています。叢塚はその道沿いの茂みの中にありました。また少し離れた小高い場所に、上半分が折れて壊れてしまっている「虎烈刺焼場供養塔」が。二つの石碑が昔から現在地にあったのかどうか定かではありませんが、叢塚の背後の崖を下ったところは平場になっており、焼き場にするとしたらそのあたりだろうと想像をしました。ちょうど市民センターの建物の裏側になります。強力な粘り気のある蜘蛛の巣に、顔全体をひっかけてしまうハプニングがありましたが、その場所まで降りてみました。もちろん今は焼き場の痕跡は何一つ残っておらず、整然とした空間となっていました。
叢塚の「叢」という漢字には、群がり集まるという意味があります。「のこぎり型の形状の工具」と「耳」と「右手」の象形からこの漢字は成り立っています。昔、戦争で殺した敵の左耳を切り取り、首の代わりに集めたことから「とる、集める」の意味となり、集めたものがそこに沢山ある状態、すなわち「群がる」という意味に発展したのでしょう。仙台藩では宝暦、天明、天保の飢饉で大勢の人たちが亡くなりました。一体一体丁寧に葬ることもできず、大きな穴を掘り、そこにたくさんの死体を投げ込み、埋めるしかなかったのです。後の世の人が哀れに思いその場所に塚を建て、群がり亡くなった人たちを供養したのです。仙台では桃源院(河原町)、大法寺(三条町)、光寿院(新寺)の叢塚がよく知られています。
一人の人間の命の終焉に際し、丁寧にしっかりと向き合うことが許されない状況は、辛いことです。十把一絡げに人間の死を扱わざるを得ないような状況は、悲しいことです。極度な貧困や大規模な飢餓や悲惨な戦争など、人々を脅威にさらす出来事がこの世から無くならない限り、古の人たちが体験した辛く悲しい出来事は、世界のどこかで必ず再現されてしまいます。何とかしなければ・・・



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