top of page

塩釜神社に喧嘩を売る

  • 小林孝男
  • 2019年1月11日
  • 読了時間: 2分

昨日(1月10日)、ふと思い立って塩釜に行ってきました。目的は13日(日)の集会で話をする前に、「大浦屋」があった場所を、体で感じておくためです。

 明治の頃、バプテストの宣教師は塩釜でキリスト教を宣べ伝えるにあたり、「大浦屋」とか「餅屋」という屋号の妓楼を借りて集会を持つという大変大胆なことを行ていたことが、歴史書に報告されています。江戸時代から塩釜には遊郭が栄えていました。遊郭は港近くに発達したのだろうと勝手に思い込んでいたのですが、塩釜の歴史に詳しい方によると、塩釜神社の門前に妓楼やお茶屋や置屋が集まっていたとのこと。江戸時代の最盛期には200名以上もの遊女が住んでいたそうです。聖と俗が隣接して同居していたことに、少なからず驚きを感じました。明治の雰囲気がまだ多少残っている昭和初期の地図を眺めると、表参道の鳥居のすぐ左脇に、確かに「大浦屋」の名前が確認できます。かつては神社と遊郭が、なんとも不思議なコミュニティーを作り上げていたことになります。

 実際に行ってみると、「大浦屋」の面影などもちろん残っている訳もありません。跡地と思われる場所は、神社の広い駐車場になっていました。ただ、百聞は一見に如かずとはよくぞ言ったものです。現地に足を運んだおかげで、「大発見」をしてしまいました。明治元年(1868)にフランス人ジュール・ブリュネが、塩釜神社の参道やそれに続く石段を描いたスケッチ画のプレートが、鳥居の手前の参道に解説付きで設置されていたのです。そしてそのスケッチには、参道両側に町屋がはっきりと描かれているのです。位置からして「大浦屋」と思われる建物も見て取れます!この建物を借りてキリスト教の集会をしていたとは!!

 塩釜神社に喧嘩を売るような方法でキリスト教を宣べ伝えた明治の宣教師の図太さに、ほとほと呆れるやら大いに感動するやら、不思議な気持ちになりました。


 
 
 

コメント


© 2023 by Conferences Website. Proudly created with Wix.com

bottom of page