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人生とは何なのか

  • 小林孝男
  • 2019年2月1日
  • 読了時間: 2分

 我家の近くに仙台大観音がそびえ立っています。正式名は仙台天道白衣大観音、高さは100mもあります。1991年に開眼法要を行ったそうですから、建立されて30年近くになります。最初の頃はその巨大な姿に、不気味さや異様さを感じていました。地域では不評この上ない建造物でしたが、慣れてしまうと普段は特段目にも入らなくなってしまうものです。脳内で不快な映像を無意識のうちに消去しているのでしょう。拝観料を払うと内部にも入れるようですが、当然一度も行ったことはありません。ただ、時々仙台を訪れる3歳の孫が、この観音様がとてもお気に入りの様子なので、いつか一緒に内部を探検しようと思っています。

 改めて思うのですが、大きなものは距離をとって眺めないと、その全体像が見えないものです。直近まで近づいたり、内部に入ったりすれば、まったく大きなものの正体は認識できなくなります。不思議なものです。詳しく調べようと近づき過ぎると、一部分の色合いや質感は分かりますが、そのものがどんな姿をしているのか、どちらの方向を向いているのか、立っているのか座っているのか、表情はどうなのか、何を持っているのかなど、全体像はさっぱり分からなくなってしまいます。

 人生とは何なのかという大きなテーマも、距離をとって眺めないとそれこそ全体像は見えてこないのでしょう。この年になったからこそ、自分の生き方はどうだったのか、何を大切にし、あるいは何を大切にしなかったのか、何を幸いと感じ、あるいは何を後悔しているのか、そういった自分の人生の全体像を俯瞰してみようという気にもなってくるのです。とは言え、このテーマは、余りにも巨大過ぎて、かなりの距離をとらないとその全体の姿は見えてきません。この世とあの世の境目くらいまでの距離に立った時、初めて自分の人生の全体像を、一瞬だけ垣間見ることが許されるのでしょう。


 
 
 

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