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慈悲ではなく利潤

  • 小林孝男
  • 2019年3月14日
  • 読了時間: 2分

 明治に入り廃寺となった密乗寺の跡地(青葉区本町1丁目)は、時代により宮城県高等女学校や私立仙台女学校(現仙台白百合学園)の校地として利用されてきましたが、現在は東北電力本社ビルが、威風堂々とそびえ立つ場所となっています。

 先日、初めてまじまじとその建物を眺めたのですが、権力側に立脚している自負と傲慢なまでの自信、庶民の声など受け付けないという冷たさを、十分に感じさせてくれる建物でした。原発の危険性を憂うる人々の声は、このビルの壁面に跳ね返され、建物の内部に届くことなどないのでしょう。

 慈悲の教えを説いた仏教寺院があった場所の上に、巨大な建造物が建っていることは、何かとても象徴的です。慈悲の教えなど意にも解せず、それどころかコンクリートの塊の圧倒的な力で、人を慈しむ心を完全に押し潰しながら、利潤の山を築くことに専念する巨大企業の正体が見え隠れ、というところでしょうか。「素晴らしく立派な外観」に、嫌悪と吐き気を催しました。

 その場所から茂市ヶ坂を下り、少し歩いたところにカトリック教会があり、しばし会堂の前に佇みました。「大きく」「洗練された」「上品な美しさ」のある教会というイメージを持っていましたが、久しぶりにその姿を目の前にして、「だいぶ痩せてしまったなあ」と率直に感じてしまいました。10分前に見た巨大企業の本社ビルの残像と、無意識のうちに比較してしまったのでしょう。しかし、それだけではありません。教会は利潤を求めません。利潤ではなく愛を求めます。愛は人の幸いを思い、自分の身を削ります。痩せて当然なのです。このカトリック教会のだいぶ痩せてしまった姿も、何かとても象徴的でした。


 
 
 

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