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成長それとも堕落?

  • 小林孝男
  • 2019年4月6日
  • 読了時間: 2分

 昨日、友人から東京土産に「電氣ブラン」をいただきました。知る人ぞ知るブランドで、浅草の「神谷バー」で出されている有名なカクテルです(と書きつつ私は知らなかったのですが・・・)。ブランデーをベースに、ジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされています。芥川賞作家の三浦哲郎の『忍ぶ川』の中にも、「神谷バー」や「電気ブラン」が登場しています。萩原朔太郎の詠んだ「一人にて酒をのみ居れる憐れなる となりの男なにを思ふらん」(神谷のバァにて)という歌もあります。

 調べてみると、明治45年(1912)に誕生した「神谷バー」のルーツは、明治13年(1880)に神谷傳兵衛が浅草に創業した「みかはや銘酒店」という洋酒の一杯売りのお店でした。鹿鳴館時代が始まる少し前の時代です。西洋の様々な文化が少しずつ日本に伝わり、国内にも次第に広がり、庶民もそういった目新しい外国文化に、興味を示し始めた頃になります。洋酒の一杯売りとは、いいところに目を付けたものです。そしてその神谷の店で「電氣ブラン(当時は電氣ブランデー)」が誕生したのは、明治15年(1882)のことでした。電気が珍しかった明治の頃、目新しいものというと「電気〇〇〇〇」などと呼ばれ、舶来のハイカラ品として、人々の関心を集めていたそうです。

 「みかはや銘酒店」誕生と同じ年、仙台には最初のプロテスタント教会・仙台浸礼教会が、イギリス人宣教師によって設立されました。また、「電氣ブラン」が誕生した前の年に、仙台浸礼教会は奥州街道沿いの二日町の民家を買い取り、会堂としました。当時、宣教師はアルコールに対しては大変厳しい態度をとり、酒屋を家業としているだけで、教会のメンバーに加わることを許しませんでしたし、教会のメンバーが飲酒すれば、除名の対象となりました。「教会」と「電氣ブラン」は、言ってみれば住む世界が全く違っていたわけです。

 その当時から140年。時代は変わりました。「電氣ブラン」を持ってきてくれたのは、教会の仲間。今日は教会のご婦人たちと一緒に、居酒屋で私の誕生会。時代とともに私たちの信仰は成長したと言うべきなのか、はたまた時代の中で私たちの信仰が堕落したと評価すべきなのか、判断が難しいところではあります。


 
 
 

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