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ひとり悦に入る

  • 小林孝男
  • 2019年5月28日
  • 読了時間: 2分

 明治の頃、バプテスト派の宣教師たちの仙台定住資格を確保するため、仙台浸礼教会の二人の若い会員が、時期は異なりますがそれぞれ私立学校を設立しました。蜂屋可秀が校主となったのが「私立宮城英学校」(1885)、鈴木光俊が校主となったのが「私立宮城英和学校」(1887)で、両校とも共学です。後者の学校は、鈴木が横浜の神学校を卒業した翌月、つまり明治20年(1887)3月に設置を知事に申請し認可された学校です。その設置願を宮城県公文書館で閲覧して感動しました。設置願の「設置の目的」には次のように記されていたからです。「設置ノ目的ハ学齢外ノ貧民ニシテ学資ヲ出シ能 ハス徒二光陰ヲ消シ居ル男女ヲ入学セシメ而シテ無月謝ヲ以テ教 授ス」「資力者ニシテ入学ヲ望ム者ニハ金五銭以上金廿五銭以下ノ月謝ヲ収メシム」。

 月謝を納められない貧しい人は無料ですし、納められる人も、収入に応じて月謝に幅を持たせているのです。この学校は単に宣教師の定住資格を確保することを目的にしているのではなく、貧しい人たちへ教育の機会を提供することも目的にしているのです。この様なシステムの学校を作るアイディアは、鈴木ではなくジョーンズ宣教師のものだったのでしょう。ジョーンズは教会のメンバーたちの姿を通し、貧しい人たちがどれほど厳しい生活を送っているか、その現状を見てきました。外国人としての、あるいは宣教師としての制約がある中、今、自分に何ができるのか、何をすべきかを考えて実現したことの一つが、この学校だったのではないかと、設立目的の文言を眺めながら想像しています。恐らくその実現のために、アメリカの宣教団から財政的なサポートを、ジョーンズはしっかり取り付けているはずです。何故ならそれが無ければ、理想を掲げた学校も画餅に終わるからです。

 この仮説を裏付ける資料はまだ発見していませんが、なかなか好い線を行っているのではないかと、ひとり悦に入っています。


 
 
 

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