カメレオンのように
- 小林孝男
- 2019年8月26日
- 読了時間: 3分

東は堤通、西は木町通、南は定禅寺通、北は北九番丁。仙台城下のこの四本の古い道に囲まれた四角形の範囲の町歩きを試みました。地域の中に今なお息づいている神々への信仰心の痕跡を確かめるためです。北九番丁からスタートしましたが、結局、南は定禅寺通のずっと手前北四番丁までしか歩くことができず、予定していたちょうど半分のコースになってしまいました。それでも神子神社(通町1丁目)、熊野神社(通町1丁目)、柏木の小社(柏木1丁目)、雨宮神社・磐上神社(堤通雨宮町)を巡ることができました。この中で今回初めて訪れたところは、柏木にある小さな社です。それはちょうど柏木生協の裏手の小路沿いにありました。個人の住宅敷地の道路に面した一画を占有している感じですが、鳥居もあり奥には小さな祠が祀られています。ご近所の住民の方がどれだけこの小社に親近感を抱き、この小社と関わりをもっておられるのかは不明ですが、「地域と神々への信仰」という今回のテーマにぴったりの雰囲気を醸し出しています。この小社がここに祀られた経緯は?どなたが現在管理しておられるのか?この敷地の所有者は?等々、大いに興味をそそられましたので、いずれ探求してみようと思います。
今回の町歩きには、「北鍛冶町と二日町では、それぞれの町の守り神をどのように祀っていたのだろう?」という隠れテーマがありました。と言いますのも、いろいろ町歩きをして気付かされることは、昔からの歴史を持つ町には、その町の鎮守として神社が祀られ、それが地域の中で代々受け継がれているケースが多いからです。旧奥州街道沿いの北鍛冶町や二日町にも鎮守があっておかしくないのですが、色々調べてみてもどうにも分かりません。しかし、神社がないこと=信仰心がなかった、ということにはなりません。町としての鎮守がないということは、各家の庭に小さな祠を祀り、個人としてより熱心な信仰心を持って、町の平安を祈願していたことの裏返しでもあるからです。そのような思いで注意深く今回町歩きをしたところ、個人の庭の片隅に小さな祠が祀られている箇所を、4カ所ほど垣根越しに確認することができました。たいていは塀などによって完全に目隠しされているか、ビルになってしまっていますので確認不能でしたが、それでも4か所見つかったということは、かなりの確率と言えるでしょう。
その中の一つは私が高校の時から今も通っている教会のすぐそば、それこそ徒歩1分程のところにありました。これを「発見」したときはさすがに驚きました。感動に近い感覚がありました。コンクリートジャングルのような町並みの中に、全く目立つことなく、カメレオンのように周囲の色彩に溶け込んで、ずっと時代を生き続けているのです。昔から受け継がれてきた庶民の信仰心には、なかなかしぶといものがあることを強く実感させられました。



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