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馬ころがし

  • 小林孝男
  • 2019年11月1日
  • 読了時間: 3分

 南中山市民センターの連続講座で、今回は旧中山街道の痕跡を求めながら判場から狼石(おいぬいし)まで歩きました。大きな収穫は二つです。

 一つ目は判場の備前家の敷地の中に入ることができたことです。中山団地造成以前の様子を、備前家の方が資料の中で「以前の家は現在の母屋の東側にあり、中山道を利用する人々の休み場になっていました。馬を我が家の竹藪に結わえ、人々は手繰り(たぐり)で井戸水を汲み、一休みしていたものでした。」と語っていますが、その竹藪と井戸を備前家の敷地に入り目にすることができました。そういう生活が遠く江戸のころから、明治、大正、昭和と続いていたのでしょう。町歩きで一瞬ですがタイムスリップ感に 久しぶりに 浸ることができました。

 二つ目は旧中山街道の「前馬ころがし」と「後馬ころがし」の場所が、私が思っていた所と全く違っていたことを知ったことです。実は今回歩いたコースは、私の毎日のウォーキングコースの一部なのですが、光明支援学校と聖和短大の区間はかなり急な坂が続いています。そのため、このあたりに「前馬ころがし」「後馬ころがし」と呼ばれた箇所があるのだろう、と想像していましたしどこかで読んだ資料にも書いてあったように記憶しています。

 しかし、現在の地形は当然のことですが団地造成後の地形であり、場所によっては30mも山を削り、あるいは逆に30mも谷を埋めて造った人工的な地形です。そのことに以前は思いが及ばず、軽率な判断をしていました。今回の講座の先生は、開発前の三千分の一の地形図を示しながら、根白石方面から重い荷物を馬に背負わせ仙台に向かう馬子の視点で付けられたのであろう「後馬ころがし」「前馬ころがし」の場所を、推論して示してくださいました。

 「後馬ころがし」とは、一列で進む後の方の馬が足を取られてしまうような急な登りの谷道で、谷なのでぬかるみができやすく、最初に通る馬はいいのですが、後の方の馬が通る頃にはぬかるみ状態がひどくなり馬が足を取られてしまう、そういう意味で「後馬」が足を取られ、場合によっては転んでしまうところ=後馬ころがし、と呼ばれたのであろうと推論。地形的には「らー神 心温」の店舗が入っている「 YSKコーポ中山台」の建物の後ろあたりであろうとのことでした。

 それに対し「前馬ころがし」とは、断崖斜面を斜めに上る坂道で、「前馬」すなわち先頭の馬の足がすくむことから名付けられたのであろうと推論。地形的には「スーパービバホーム」あたりがが、その場所であったのだろうとのことでした。う~む、地形図から見てもいやに説得力がある説明でした。ただ造成後の現在の地形は二カ所とも平たんそのもので、まったく実感が伴ってきませんでしたが・・・。

 実際に歩いたり、地形図を読んだり、想像したりしながらの今回の講座は、とても良い頭の体操になりました。帰りに一人で立ち寄った中山街道沿いの小さな蕎麦屋で食べた新そばもなかなか美味でした。


 
 
 

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