お寺の掲示板にならう
- 小林孝男
- 2020年3月24日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年3月26日

『お寺の掲示板』(新潮社)という本が、昨年出版されました。とても興味深い本です。SNSに紹介されたお寺の掲示板に書かれた様々な言葉。その中から著者が何点かを取り上げ解説を加えたものです。お寺の掲示板には、そのお寺さんのセンスが凝縮されています。また掲示板の言葉は、不特定多数の読み手の心に共感や気付きや疑問を湧きあがらせ、その先には仏教の教えとの接点が用意されています。例えば・・・
「ばれているぜ」。あのこと、このことが妻(夫、上司、友人)にばれているのかと、心がざわめく方もいるかもしれませんが、あなたの全てが仏様には知られているのだということを、「ばれているぜ」と大胆に表現しているのです。「おまえも死ぬぞ」。あまりにも当然のことですが、日常の中ですっかり忘れてしまっていることをズバリ。今日が人生最後の日と思ってその日を精一杯生きることの大切さに気付かせてくれます。「人の悪口は うそでも面白いが 自分の悪口は ほんとでもはらがたつ」。全くその通り。人の本性をすっかり見透かした言葉です。「あんたが悪いと指さした下の三本は 自分を向いている」。なるほどと合点しました。非難し、罵倒し、抗議し、相手を指さす自分の手を見ると、中指と薬指と小指は、相手ではなく自分自身を指しています。自分の悪いところや欠点に気付かず、相手の足りなさばかりを非難してしまう私たちです。大切なことはまず自分自身を謙虚に見つめ、己を知ることなのでしょう。「もう逃げられん」。何かドキッとしてしまいますが、脅し文句ではありません。「あなたは仏の慈悲や救いから絶対に逃げられませんよ」ということを表現した、インパクトある言葉です。
さて、私が属しているキリスト教会の掲示板は、人通りが比較的多い街中の歩道に面して設置されており、説教題など真面目な掲示物が張り出されています。その前を毎日何千人もの方が行き来していますが、どれだけの方の目に留まり、見た方の心を多少なりとも動かすことができているのでしょうか。ここはお寺さんの知恵を拝借し、宗教に無関心な人々にもちょっとだけ立ち止まってもらい、キリストの教えとの接点を提供するために、柔軟かつ大胆な発想で「教会の掲示板」を活用できないものかと、あれこれと思いを巡らしています。



コメント