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しなやかに見極める

  • 小林孝男
  • 2021年10月17日
  • 読了時間: 2分


 大正元年に発行された『仙台市全図』によれば、前回のブログで紹介した桃林舎(土樋末ナシ)の北、土樋の通りに面したところに、「以仁寮」と記されています。また近くには石垣丁に面し「以仁分寮」とあります。東北帝国大学の清水小路や猿曳丁の「明善寮」、そして南六軒町の「明善分寮」(現在の東北学院大学キャンパス内)はよく知られています。「以仁寮も恐らく東北帝大関連の寮なのだろう。この時代、会社の寮などは考えられないし」と推理し、それを裏付けるために何回か宮城県図書館に通い、『仙台市史』や『東北大学百年史』を調べてみました。しかし、残念ながら私が読んだ範囲内では、その名称はどこにも発見できませんでした。そうなると益々気になるものです。そこでレファレンスサービスを利用することにしました。

 1週間後、回答をいただき胸のつかえがすっきり。「以仁寮」は、東北大学医学部の前身・仙台医学専門学校(1901年・明治34に設置)の学生寮(1907年・明治40に設置)だったのです。2階建27室、40名内外の寮生が舎監と共に寄宿生活を送っていたそうで、寄宿料は月額75銭とのこと。

 仙台医学専門学校といえば、あの魯迅が学んでいたところです。片平にありましたので、学校までは徒歩20分といったところでしょう。この寮は6年ほどの短い期間で廃止(1913年・大正2)されましたが、その間、医学を志す青年たちの生活の場であったわけです。裏手は桃林舎(小さな牧場)。多少臭いはあったかもしれませんが、のどかな環境です。廃止の理由は、東北大学病院の前身・宮城病院が、東三番丁(元貞坂・現在のNHK仙台放送局あたり)から北四番丁(現在の東北大学病院の場所)に移転したことに伴い、病院での実習の際など通学が不便になり、在舎生が定員に満たなくなってしまったためのようです。確かに寮から病院までは、徒歩60分はかかるでしょう。

 さて、図書館のレファレンスサービスをこれまで何回か利用しましたが、司書の方の調査能力にはいつも感心させられます。今回は以仁寮の情報を、『宮城県史』から探し出してくれました。一方私は、以仁寮が仙台市内にある寮であり、また地理的に東北帝国大学と関係がありそうだという観点から、『仙台市史』や『東北大学百年史』を調べ、見つけられず、降参してしまいました。あまりにも直線的であり、また近視眼的でした。物事を捉える時は、もっと広い視野をもち、また曲線的なしなやかさをもって見極めることが大切であることを、教えられた思いです。これは何事にも通じることなのでしょう。


 
 
 

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