巡り巡って
- 小林孝男
- 2021年10月19日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年11月23日

東北学院の現院長は、私と同じ教会に属す信仰の仲間です。9月に実施した町歩きの際、彼の住まいのマンショ近くを歩いていたことに、後になって気づきました。好奇心からそのマンションが建つ場所がどんな土地柄だったのか、古い地図を調べてみると、江戸時代は武家屋敷でしたが、明治には桃林舎があった場所でした。桃林舎とは恐らく搾乳所(小規模牧場)だろうと推測していますが、まだその証拠となる文献資料を探し出せないでいます。
桃林舎について色々調べる中、明治から昭和にかけて仙台市内周辺部には、小規模牧場がいくつもあったことを知りました。その中の一つ塚田牧場(中島丁。尚絅学院中高キャンパスの道路向かい)は、大正の初めに経営者が替わり、名称も愛光舎工藤牧場となりました。
愛光舎という名前は、何かキリスト教ぽい感じです。少し気になりましたので、桃林舎のことは一旦棚上げし、愛光舎について調べてみました。
愛光舎を名乗る搾乳所(小規模牧場)は、関東や東北を中心にいくつかあったようですが、元々の愛光舎は、種痘に用いる痘苗(天然痘ワクチン)を製造する日本初の民間施設・東京牛痘館に併設された牧場で、いずれも1885年(明治18)に創設されています。当時は冷凍技術がなかったため、必要に応じ牛天然痘に感染させた牛から痘苗を作るため、牛を飼っておく牧場がどうしても必要だったわけです。この民間施設と愛光舎を神田三崎町に創設した人物は、角倉賀道(すみのくら・よしみち、1857~1927)です。
角倉は愛知生まれで、明治時代に神奈川で小児科医として働き、特に種痘の普及に尽力した方です。愛光舎は痘苗製造のための牧場でしたので、乳業に携わろうなどという思いは、角倉の念頭にありませんでした。ただ、牧場では副産物として毎日牛乳が生産されます。医者である彼は、牛乳の栄養価が高いことは十分承知していました。そこで病人や栄養が行き届かない乳児に、牛乳を与えることを啓蒙する働きも行うようになります。そのような経緯もあり、1898年(明治31)に、愛光舎巣鴨牧場を創業、事業を拡大して牛乳の製造販売を行うことになります。また、乳牛用の牝牛の輸入や、子牛を関東、東北の牧場に預託し、各地の酪農普及にも大いに貢献しました。そんな関係で、各地に愛光舎を名乗る関連の牧場が増えたのだと思われます。
さて、「愛光舎」というキリスト教の雰囲気漂う名前ですが、これは角倉が熱心がクリスチャンであったことに由来したのでしょう。彼は1889年(明治22)、32歳の時に浸礼教会(バプテスト教会)でバプテスマを受けます。信仰篤い彼は、バプテストの宣教師ウィリアム・アキスリングに協力し、東京中央会館(後に東京三崎会館と改称)の建築にも寄与しました。伝道と社会活動のために多角的に利用することを目的とした会館です。そして会館内に中央バプテスト教会も設立されます(1876年設立の東京第一浸礼教会と、1885年設立の日本浸礼教会が合同して発足)。1908年(明治41)のことです。この教会が、現在の日本キリスト教団三崎町教会です。
三崎町教会の5代目の牧師(1975~1980年)は甲原一先生ですが、尚絅学院は1980年(昭和55)に、甲原先生を学院長としてお迎えしました。当時の尚絅学院は、労使の対立で混乱していましたが、甲原先生は10年間の院長在任中、誠実に教職員と向き合い、皆さんからの信頼を獲得し、混乱を収束させ、学校民主化の道をリードされました。私も心から尊敬していた先生です。
東北学院の院長の話からブログが始まりましたが、巡り巡って結びは尚絅学院の元院長の話になりました。不思議な繋がりがあるものです。



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