時空を行き交う
- 小林孝男
- 2021年10月8日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年10月17日

2年半ぶりに町歩きを楽しみました。猿曳丁(さるひきちょう)と土樋(つちとい)のT字路を左折し、かつての宮沢渡戸地点を目指すことが今回の主な目的でした。歩いてみて実感したことは、土樋はかなり長い通りであるということです。開府当初は田町が仙台城下への南の入口にあたる町で、宮沢渡戸(現在の宮沢橋付近)で広瀬川を越えていたようです。その宮沢渡戸と田町を結ぶ道が土樋ですので、交通の面でも城下防衛の面でもかなり重要な通りだったことでしょう。
大正時代の地図を見ると、米ケ袋の鹿ノ子清水から弓ノ町まで一直線に段丘崖がはっきりと描かれており、その崖の下部に沿った通りが土樋ということになります。通り沿いの駐車場から段丘崖を確認できる地点がありました。ちょうど仏眼寺の裏手です。「ああ、この崖がずっと続いているのか。」と納得した瞬間、記憶が甦ってきました。50年以上前、東北学院大学の学生だった頃、キャンパス内のグランドに行くのには階段を降りなければなりませんでした。「あの階段部分が段丘崖だったのだ!」と今ごろになって気付き、意味もなく新鮮な感動を覚えました。
土樋は一段と低い土地になりますので、雨水や湧水でぬかるみが多く、何らかの水処理対策が必要であったであろうことは、想像に難くありません。単純に考えれば、道沿いに排水用の溝を掘ることだと思うのですが、どうだったのでしょう。土樋という言葉から考えれば、溝の両脇に土盛りをして水があふれ出ないようにしたということなのでしょうか(そうすれば土の樋が道沿い作られたという風に、見えなくもないと思うのですが・・・)。
町歩きの楽しみは、昔の地図の情報を現在の街並みの中に発見したり、「今」を歩きながら「昔」を想像したりと、まさに時空を自由に行き交うことができる点です。今回は久しぶりということもあり、町歩きの醍醐味を味わう感覚がなかなか取り戻せないまま終わりました。気持ちだけ張り切り過ぎて、思いのほか体力的には負担が掛かってしまったようです。歩いている時は全く自覚症状はなかったのですが、帰宅してから疲れがどっと噴出し、体調に異変を来し、結局全快まで10日を要してしまいました。やはり年は争えないものです。これからは気力だけではなく、体力とも相談しながら「ほどほど」をモットーに町歩きを楽しんでまいります。
(宮沢橋近くの河原で)
江戸時代、広瀬川の渡し場であった現在の宮沢橋近辺。舟丁と呼ばれたこの一帯には御船衆が住み、水運作業に当たっていました。このあたりには藩の米蔵や材木蔵もありました。また短期間ですが、舟丁には遊女町が形成されたこともあります。
町歩きの途中、河原のベンチで、川面をぼんやり眺めながら一句。剛腕な御船衆が肉体労働も一段落して、土手に座り一服。近くに咲く黄色い秋の花を眺めながら、しばし休息の時を持っている、そんな風景を想像してみました。
女郎花(おみなえし) 紫煙くゆらす 御船衆



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