普段着の言葉で
- 小林孝男
- 2021年12月9日
- 読了時間: 2分

2021年の「輝け!お寺の掲示板大賞」が発表されました。これは公益財団法人仏教伝道協会が主催しているもので、2018年から始まりました。お寺の門前の掲示板でよく見かけるのですが、抹香臭くない表現で、仏教の教えの神髄を巧みに言い表している言葉があります。読む側は、ドキッとしたり、なるほどと合点したり、口元が優しくほころんでしまったりして、ごく自然にその言葉が深く心に染み込んでくるのです。
今年(2021年)の大賞は、広島の超覚寺の掲示板に貼りだされた言葉、「仏の顔は何度でも」が選ばれました。講評にこうあります。「『仏の顔も三度まで』ということわざが世間に完全に定着していますが、仏様はその程度で腹を立てるような方ではありません。阿弥陀仏は無限の慈悲を備えていらっしゃいます。『仏の顔も三度まで』というより『仏の顔は何度でも』のほうが仏様の表現としては正確であることを知ってもらいたいということで今回大賞に選ばれました」。なるほど、納得です。
他の受賞作品の中にも、心惹かれるものがいくつかあります。例えば、
「本当のことが分からないと 本当でないものを 本当にする」 「菌をふりまかないはずのマスク越しに余計なことを言い 消毒したはずの手がいらんことをする」 「もっとも優しい言葉は その人の名を呼ぶことである」 「磨いても磨いても光らなかった でも腕力はついた」 「私の物差しで問うのではなく 私の物差しが問われる」 私自身はクリスチャンなのですが、キリストの教えや聖書の教えを、もっと普段着の言葉で、肩肘張らずに、人々の心にすんなり飛び込んでいくような表現で伝えられないものかと、「お寺の掲示板」を読むたびに思わされています。この点では、教会はお寺さんの柔軟さや懐の深さ、そして大胆さに大いに学ぶ必要があります。 (そういえば、1年半ほど前にも同じようなことを書いたなあ~。それだけ思いが強いのでしょう。)



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