未来を拓く
- 小林孝男
- 2020年4月27日
- 読了時間: 2分

4月に敬老乗車証の交付を受けました。なんと十分の一の料金で 仙台市営バス・地下鉄 が利用できるのです。ただこの状況で外出を控えていますので、残念ながらまだ利用できていません。毎日1時間のウォーキング以外は部屋に閉じこもっています。午前3時に起床し、午後8時に床に就く間に、やることは結構あります(まあ、ほとんどは「やらなくてもいいこと」でもあるのですが・・・)。
最近は『日本バプテスト史年表』という分厚い資料をめくりながら、日本バプテスト同盟(米国バプテスト系)と日本バプテスト連盟(南部バプテスト系)が成立するまでの足跡をたどっています。年表ですので読み物としては全くつまらないのですが、いろいろ想像しながら必要な項目の抜き出し作業をしていると、これがなかなか面白いのです。
日本に米国バプテストの宣教師が初めてやってきて活動を開始したのは明治6年(1873)、南部バプテストは遅れること16年後の明治22年(1889)でした。米国バプテストがまだ開拓していなかった九州地方を、南部バプテストの宣教地に割り当て、両者で「日本浸礼教会組合年会」を組織し、日本伝道のために協力して歩み出しました。年会(総会)を毎年開催していたのですが、次第に多数派(米国バプテスト)と少数派(南部バプテスト)の折り合いが悪くなっていきます。どうしても年会は、多数派が集まりやすい場所が会場となり、議題も多数派に関係するものが多くなります。少数派からすれば、苦労して旅費と時間をかけて遠くまで足を運んでも、自分たちとは直接関係ない議事が延々と続き、分担金だけは平等に取られる、ああ面白くないという気持ちになっても不思議ではありません。やがて年会は3年に一度開催することにし、実際的な活動は米国バプテスト(東北・関東・近畿・関西の各部会)と南部バプテスト(西南部会)が、それぞれ独立して行っていくシステムに変わっていきます。置かれている状況の違い、規模の違い、バックグランドの違い、距離の違い、様々な要素に違いを持つ者同士が、しっかりと繋がり合い、力を合わせていくということは本当に難しいものです。同じキリスト教を信じる者同士であってもです。
様々な要素がとんでもなく大きく異なっているたくさんの人たちが、この地球上には生きています。その中で一致、協力、協調し、そこから生まれる平和を目指すなどということは、ほぼ実現不可能なのでしょう。ただ、そのほぼ不可能に近いことを追い求めていくことの中にしか、私たちの未来は拓かれていかないのでしょうね。



コメント